再仕込み醤油(さいしこみしょうゆ)

1. はじめに ~醤油の常識を覆す、濃厚な一滴との出会い~

ようこそ、発酵が織りなす美味の世界へ。『発酵の旅人』が今回、あなたをご案内するのは、醤油の中でもひときわ深く、豊かな物語を持つ「再仕込み醤油」を巡る探訪の旅です。日本の食卓に欠かせない醤油ですが、その一滴一滴に、長い歴史と職人の技、そして目には見えない微生物たちの壮大な働きが秘められていることを、私たちはつい忘れがちかもしれません。

普段何気なく使っているその醤油の常識を覆すような、特別な逸品が存在することをご存知でしょうか。それは、一度完成した醤油(生揚げ)を食塩水の代わりに使い、もう一度、麹と共に醤油を仕込むという、贅沢の極みともいえる製法から生まれます。時間も原料も、通常の倍をかけてじっくりと醸されるその一滴は、まさに醤油の王様と呼ぶにふさわしい風格をまとっています。

実はこの再仕込み醤油、日本の醤油全体の生産量で見ると、わずか1%ほどしか作られていない、大変希少な存在なのです。大量生産とは一線を画し、経験豊かな職人の手仕事と、麹菌や酵母といった微生物の力が、一年半から二年という長い時間をかけてじっくりと育む、まさに「選ばれし一滴」。その深く艶やかな琥珀色は、幾重にも重なった発酵と熟成という、静かで力強い旅路の証といえるでしょう。

とろりとした質感、鼻をくすぐる芳醇で複雑な香り、そして舌の上に広がる濃厚な旨味とまろやかな塩味。この感動的な味わいは、ただ料理に塩味をつけるという役割をはるかに超えています。この一滴が、いつものお刺身を、冷奴を、どれほど特別な一皿に変えてくれることか、想像するだけで心が躍りませんか。

さあ、これから私たちと一緒に、藩主に献上されたという歴史、その唯一無二の製法の秘密、そして日常の食卓を豊かにする最高の楽しみ方を巡る旅に出かけましょう。きっとあなたの醤油を見る目が変わり、食の世界がさらに奥深く、魅力的に広がるはずです。

2. 一度ならず、二度醸す。そもそも「再仕込み醤油」ってなんだろう?

私たちの食卓に並ぶ醤油が、法律(JAS規格)によっていくつかの種類に分けられていることは、発酵の世界を旅する上で大切な知識の一つです。それはまるで、広大な海を航海するための海図のようなもの。醤油の世界には大きく分けて「こいくち」「うすくち」「たまり」「さいしこみ」「しろ」という5つの大陸が存在し、それぞれに異なる風味と役割を持っています。

この中で、今回私たちが目指す「さいしこみ(再仕込み)醤油」は、ひときわユニークな製法を持つ、特別な大陸といえるでしょう。一般的な醤油づくりでは、蒸した大豆と炒って砕いた小麦で「醤油麹」をつくり、それを「食塩水」と合わせて「もろみ」を仕込み、発酵・熟成させます。この「食塩水」を使うのが、いわば醤油づくりの常識的な航路です。

しかし、再仕込み醤油は、その常識の先を行きます。なんと、仕込みに使うのは食塩水ではありません。一度、醤油として完成させた「生揚げ(きあげ)」と呼ばれる、搾りたての火入れをしていない醤油そのものを使うのです。つまり、醤油麹を、さらに醤油で仕込む。この「二度醸す」という前代未聞の工程こそが、「再仕込み」という名の由来であり、その味わいの核心に迫る最大の秘密に他なりません。

この製法から、再仕込み醤油は「甘露(かんろ)しょうゆ」という、なんとも優雅で美しい別名で呼ばれることもあります。「甘露」とは、天から降る甘い霊液を意味する言葉。一口味わえば、その名の通り、天の恵みとも思えるような深く、まろやかな味わいが口いっぱいに広がります。なぜ、このような特別な醤油が生まれたのでしょうか。その物語は、歴史の章で詳しく紐解いていくことにしましょう。

まずは、この「醤油で醤油を仕込む」という、他に類を見ない製法が、いかに贅沢で、いかに特別な存在であるかを心に留めておいてください。それは、発酵という神秘的なプロセスを二重に経ることでしか到達できない、旨味と香りの頂なのです。この基本的な知識は、再仕込み醤油の深遠な世界を旅するための、信頼できる羅針盤となってくれるはずです。

3. 時間と手間が生む至高の味わい。醤油職人の技が光る原料と製法

再仕込み醤油の比類なき味わいは、その贅沢極まりない製法によって生み出されます。一般的な醤油づくりが、いわば一度きりの発酵と熟成の旅であるとすれば、再仕込み醤油のそれは、二つの壮大な旅を一つに凝縮した、壮大な叙事詩といえるかもしれません。その工程を少し詳しく覗いてみれば、一滴に込められた時間と職人の情熱の重みが、より深く理解できることでしょう。

まず、旅の始まりは他の醤油と同じです。厳選された大豆と小麦を使い、麹菌の力を借りて「醤油麹」を育て上げます。ここからが運命の分岐点。通常の醤油が食塩水と共に発酵の樽へと向かうのに対し、再仕込み醤油の麹が出会うのは、すでに一度、発酵と熟成の旅を終えた「生揚げ醤油」です。この生揚げ醤油には、アミノ酸をはじめとする旨味成分がたっぷりと溶け込んでいます。

なぜ、わざわざ醤油で仕込むのでしょうか。それは、旨味成分が凝縮された液体の中で再度発酵させることで、塩味のカドが取れてよりまろやかになり、旨味とコクが極限まで高まるからです。麹菌や酵母、乳酸菌といった微生物たちは、旨味豊かな環境の中で、さらに複雑で奥深い香りと味わいを生み出していきます。これは、倍の原料と倍以上の時間をかけることを厭わない、究極の品質を追求する職人たちの執念の結晶なのです。

熟成期間は、およそ一年半から二年間。一般的な濃口醤油の約二倍もの歳月を、静かに樽の中で過ごします。この長い眠りの間に、もろみの中では絶え間ない発酵という生命活動が繰り広げられ、味は深く、香りは華やかに、そして色は艶やかな赤みを帯びた黒褐色へと変化を遂げていきます。まさに、時間が育む芸術品と言っても過言ではないでしょう。

このように、倍の原料と倍の時間をかけて、二度の発酵・熟成を経る。この事実を知るだけで、再仕込み醤油の一滴が、いかに貴重なものであるかがお分かりいただけるはずです。それは単なる調味料ではなく、日本の発酵文化が到達した一つの極みであり、職人の技と微生物、そして時間が織りなす、奇跡の液体なのです。

4. 藩主が愛した「甘露」の物語。山口県柳井から始まる再仕込み醤油の歴史

すべての物語に始まりがあるように、再仕込み醤油の歴史を辿る旅は、瀬戸内海に面した温暖な港町、山口県柳井市から始まります。江戸時代、商業の拠点として栄えたこの地で、他に類を見ない特別な醤油が産声を上げました。古くから醸造業が盛んだったこの土地の風土と、職人たちの探究心が、のちに「甘露しょうゆ」と呼ばれる逸品を生み出したのです。

その昔、この地の醤油職人が、岩国藩の藩主吉川氏に醤油を献上した際のエピソードが伝えられています。藩主はその類まれなる濃厚な風味と深いコクにいたく感動し、「これぞまさに甘露(天上の甘い飲み物)である」と賞賛したといいます。この逸話こそが「甘露しょうゆ」という優雅な名の由来となり、その名声はたちまち広まっていきました。藩主を唸らせた一滴は、まさに最高級品の証だったのです。

柳井で生まれたこの特別な製法は、やがて瀬戸内の海運に乗って、中国山地を越えた山陰地方や、関門海峡を渡った北九州地方へと伝播していきました。それぞれの土地の気候や水、そして職人の気質と交わりながら、再仕込み醤油は各地で独自の進化を遂げていったと考えられます。今でも、これらの地域に再仕込み醤油の蔵元が多く残っているのは、その歴史的な背景があるからに他なりません。

再仕込み醤油の歴史は、単なる製法の変遷の記録ではありません。それは、より美味しいものを追求する職人の情熱と、その価値を認め、育んだ地域の文化が結びついた物語です。藩主が愛した一滴の醤油が、時を経て、私たちの食卓へと届けられている。そう考えると、一皿の冷奴にかける醤油にも、歴史のロマンが感じられるのではないでしょうか。

この醤油が生まれた背景には、豊かで穏やかな瀬戸内の海と、商人の活気が行き交う港町の賑わいがありました。次の章では、この歴史ある醤油を現代の私たちがどう楽しむことができるのか、その具体的な活用法を探る旅へと進んでいきましょう。歴史を知ることで、その味わいはさらに感慨深いものになるはずです。

5. いつもの食卓が専門店の味に?再仕込み醤油、魔法の一滴活用術

さて、再仕込み醤油の奥深い世界を知った今、次はいよいよその真価を味わう旅に出発です。この醤油の最大の特徴は、「色・味・香り」のすべてが濃厚であること。この個性を理解すれば、あなたの家庭料理が、まるで専門店の逸品のように劇的に変わるかもしれません。再仕込み醤油は、加熱する料理よりも、そのものの味を直接楽しむ「つけ・かけ」で使うことで、最も輝きを放ちます。

まず試していただきたいのが、お刺身です。特に、イカやタイ、ヒラメといった繊細な味わいの白身魚に、ほんの少しだけつけてみてください。醤油の強い自己主張が魚の味を消してしまうのでは、と心配になるかもしれませんが、その逆です。再仕込み醤油の持つ複雑でまろやかな旨味が、魚本来の甘みと上品な風味をぐっと引き立て、味わいの奥行きを何層にも広げてくれることに驚くでしょう。

次におすすめしたいのが、お寿司や冷奴、そして究極のシンプル飯である卵かけご飯です。とろりとした醤油がネタや豆腐、そして熱々のご飯と卵に優しく絡みつきます。少量でも満足できる濃厚な旨味があるため、塩分を摂りすぎる心配もありません。いつもの食事が、一口ごとに感動を覚える「ごちそう」へと昇華する瞬間を、ぜひ体験してみてください。

そして、ここからは少し冒険の旅。この醤油のポテンシャルは、和食の世界だけにとどまりません。意外な組み合わせとして、ぜひ試していただきたいのが「バニラアイスクリーム」です。上質なバニラアイスに、再仕込み醤油をほんの数滴たらしてみてください。するとどうでしょう。醤油の香ばしさと塩味が、アイスの甘さと乳脂肪のコクを引き立て、まるでキャラメルやみたらし団子のような、和洋折衷の絶品デザートが誕生します。

このように、再仕込み醤油は主役の素材を引き立てる名脇役でありながら、時にはそれ自体が主役にもなれる、変幻自在の魅力を持っています。まずはシンプルなお料理から、その魔法の一滴を試してみてはいかがでしょうか。きっと、あなたの食生活における、かけがえのない発見が待っているはずです。

6. これってどうなの?再仕込み醤油なんでもQ&A

再仕込み醤油という、少し特別な存在に出会うと、様々な疑問が湧いてくることでしょう。ここでは、発酵の旅の途中で皆さんが抱きがちな質問に、旅の案内人としてお答えしていきます。知識という名の装備を整えれば、より安心してこの先の旅路を楽しめるはずです。さあ、どんな疑問も投げかけてみてください。

Q1. 色がとても濃いけど、その分しょっぱいのですか?

A. 素晴らしい質問ですね。確かに、再仕込み醤油の深く濃い色合いを見ると、塩味がとても強いのではないかと想像されるかもしれません。しかし、答えは「NO」です。実際の塩分濃度は、一般的なこいくち醤油と同じくらい(約15~17%)が標準です。ではなぜ、塩辛く感じにくいのでしょうか。その秘密は、二度の発酵・熟成によって生まれた圧倒的な量の「旨味成分(アミノ酸など)」にあります。この豊富な旨味が、塩味の刺激的な角を包み込み、舌の上でまろやかに感じさせてくれるのです。むしろ、少量でしっかりとした味と満足感が得られるため、結果的に減塩に繋がることもある、賢い選択ともいえるでしょう。

Q2. 特別な醤油のようですが、開封後の保存方法は難しいですか?

A. ご安心ください。再仕込み醤油も、基本的には他の醤油と同じように扱っていただいて問題ありません。醤油は塩分濃度が高く、保存性に優れた発酵食品ですが、その繊細な風味は空気や光、熱によって少しずつ変化していきます。最高の状態で長く楽しむためには、開封後はキャップをしっかりと閉め、冷蔵庫で保存するのが最もおすすめです。特に、再仕込み醤油の命ともいえる豊かな香りや風味を大切にするためにも、ぜひ冷蔵庫での保管を心がけてみてください。

Q3. この素晴らしい醤油を海外の友人に説明したいのですが、英語では何と言えば良いですか?

A. 日本が誇る食文化を海外に伝える、素敵な試みですね。農林水産省の公式な資料では、日本語の読み方をそのまま用いた「shoyu-saishikomi」という表記が使われています。これが最も正確な伝え方でしょう。さらに、その特徴を補足して説明するなら、「Refermented Soy Sauce(再発酵させた醤油)」や「Twice-brewed Soy Sauce(二度醸造した醤油)」といった表現が、製法のユニークさを的確に伝えてくれます。これらの言葉を添えれば、きっと海外の友人も、その特別な価値を理解してくれるはずです。

7. 発祥の地・柳井を訪ねて。「甘露しょうゆ」の故郷で発酵旅

再仕込み醤油の物語に触れたなら、その故郷を実際に訪れてみたくなるのが旅人の性というものでしょう。さあ、地図を広げて、山口県柳井市へと向かう「発酵旅」の計画を立ててみませんか。この町には、醤油の香りと共に、歴史の息吹が今もなお色濃く残っています。ただの観光ではない、五感で発酵文化を体験する旅が、あなたを待っています。

旅のハイライトは、なんといっても現存する醤油蔵の見学です。町の中心部には、今も「甘露しょうゆ」を伝統製法で作り続けている蔵元があり、その一部は一般に公開されています。一歩足を踏み入れれば、ひんやりとした空気と共に、醤油麹と熟成もろみの、甘く香ばしい香りがあなたを包み込むでしょう。巨大な木桶がずらりと並ぶ光景は圧巻の一言。職人さんから直接、製造工程の話を聞けば、これまで学んできた知識が、生きた実感として心に刻まれるはずです。

醤油蔵を訪れた後は、町の散策に出かけましょう。柳井には、室町時代の町割りが基礎となった「白壁の町並み」が約200メートルにわたって続いています。江戸時代の商家や町家が軒を連ねる美しい景観は、まるで時代劇の世界に迷い込んだかのよう。赤い金魚の提灯「金魚ちょうちん」が軒先で愛らしく揺れる姿も、この町ならではの風情です。ゆっくりと歩きながら、醤油の積み出しで栄えた往時の港町の賑わいに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

そして、旅の締めくくりは、もちろん「食」です。市内の飲食店では、地元の甘露しょうゆを使った料理を味わうことができます。お刺身や郷土料理で、その土地の水と空気が育んだ本場の味を確かめるのは、何よりの贅沢。お土産には、もちろんお気に入りの蔵元の甘露しょうゆを選びましょう。旅の思い出と共に持ち帰った一瓶は、あなたの家の食卓を、きっと豊かに彩ってくれるに違いありません。

柳井への旅は、再仕込み醤油のルーツを辿るだけでなく、日本の美しい伝統文化に触れる貴重な機会となります。ぜひ、次の休日の計画に、この魅力的な発酵旅を加えてみてください。

8. おわりに ~一滴に込められた職人の技と時間を味わう~

さて、醤油の王様「再仕込み醤油」を巡る私たちの旅も、いよいよ終着点です。その定義から始まり、贅沢な製法、藩主が愛した歴史、そして日常を豊かにする活用術まで、様々な角度からその魅力に光を当ててきました。この旅を通して、皆さんの醤油に対する見方が、少し変わったのではないでしょうか。

再仕込み醤油は、単なる「調味料」という言葉の枠には収まらない、特別な存在です。それは、日本の豊かな食文化が生んだ知恵の結晶であり、麹菌や酵母といった微生物たちの神秘的な生命活動の賜物。そして何より、倍の原料と長い歳月を惜しまず、最高の品質を追求する職人たちの情熱が注ぎ込まれた、一つの「作品」といえるでしょう。

その深く、艶やかな一滴には、発祥の地・柳井の穏やかな風土、醤油蔵に染み付いた酵母の記憶、そして幾世代にもわたって受け継がれてきた職人の技が、静かに溶け込んでいます。私たちがその醤油を味わうとき、私たちはその背景にある壮大な物語をも、一緒に味わっているのかもしれません。

この発酵の旅で得た知識と感動を、ぜひあなたの日常に持ち帰ってください。スーパーマーケットの醤油売り場で、少しだけ足を止めてみてください。きっと、これまで見過ごしていたかもしれない「再仕込み」や「甘露」という文字が、特別な輝きを放って見えるはずです。そして、思い切ってその一瓶を手に取ってみてください。

まずはシンプルに、お豆腐や卵かけご飯でその違いを確かめてみるのがおすすめです。いつもの食卓が、驚くほど豊かで、味わい深いものに変わる体験は、あなたの食生活における素晴らしい宝物となるでしょう。『発酵の旅人』は、これからもあなたの知的好奇心を刺激する、新たな発酵の世界へとご案内します。また次の旅でお会いしましょう。

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