久寿餅(くずもち)

1. その「くずもち」、本当に葛餅? 関東生まれ“発酵”和菓子の正体

「くずもち」と耳にして、皆さんの心に浮かぶのはどのような光景でしょうか。おそらく、半透明でぷるんとした、涼やかな夏の和菓子を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、もしそれが関東で生まれた「久寿餅」を指すのであれば、そのイメージは少し修正が必要になるのです。実は、私たちが知る「くずもち」には二つの大きな流れがあり、その一つは日本で唯一の“発酵する和菓子”という、驚くべき個性を持っています。

さあ、皆さんと一緒に巡る「発酵の旅」。その最初の扉は、この身近な和菓子に隠された大きな秘密を解き明かすことから始まります。この違いを知れば、次に久寿餅を口にするときの味わいが、きっと一層深まることでしょう。

「久寿餅」と「葛餅」は似て非なるもの

まず結論からお伝えすると、関東の「久寿餅」と関西で主に食される「葛餅」は、名前こそ似ていますが全くの別物です。原料も製法も、そしてその味わいの根幹も異なります。以下の表で、その違いを比べてみましょう。

項目 久寿餅(関東風) 葛餅(関西風)
原料 小麦でんぷん 葛粉、または他の芋類のでんぷん
製法 小麦でんぷんを乳酸発酵させる 葛粉を水で溶き、加熱して固める
特徴 独特の風味と歯ごたえ。色は白く不透明。 つるんとした喉越しと透明感。

このように、最大の違いは「発酵」というプロセスを経るか否かにあります。関東の久寿餅は、小麦のでんぷんを長期間にわたって乳酸菌の力で発酵させることで、あの独特の風味と、しっかりとした歯ごたえの中にもっちりとした唯一無二の食感を生み出しているのです。これは、数多ある和菓子の中でも類を見ない、非常にユニークな存在と言えるでしょう。

発酵という、目には見えない微生物たちの静かな営みが作り出す、奇跡の和菓子。それが久寿餅の真の姿なのです。この事実を知ることは、まるで壮大な発酵の世界を巡る旅の、始まりの切符を手にしたようなもの。次章からは、この久寿餅が歩んできた歴史や、驚くべき発酵の製法について、さらに深く旅を進めていきます。ぜひ、この美味しくも奥深い発酵和菓子の世界をご一緒ください。

2. 江戸っ子に愛され200年。門前町で紡がれる発酵の物語

久寿餅が持つ独特の風味と物語は、江戸の風情が色濃く残る時代にまで遡ります。その歴史の扉を開くと、そこには参拝客で賑わう寺社の門前で、人々のささやかな楽しみを支えてきた久寿餅の姿がありました。この和菓子が、なぜ門前町の名物として花開き、長く愛され続けることになったのでしょうか。その背景には、当時の人々の暮らしと祈りが深く関わっています。

創業1805年(文化二年)という老舗「船橋屋」の歴史を紐解くと、久寿餅の歩みが見えてきます。当時、亀戸天神社の周辺には多くの人々が参拝に訪れていました。その門前で、創設者が偶然にも良質な小麦でんぷんが手に入ることを知り、発酵させて餅を作り上げたのが始まりとされています。素朴でありながら滋味深いその味わいは、長旅や参拝で疲れた人々の心と体を優しく癒したことでしょう。

門前町という場所は、単なる商業地ではありません。神仏への祈りを捧げる人々が集う、特別な空間です。そこで提供される食べ物には、単に空腹を満たす以上の意味が込められていたと考えられます。久寿餅の優しい甘さと腹持ちの良さは、参拝を終えた人々の小腹を満たすのに最適でした。また、発酵という自然の力を借りて作られる久寿餅は、五穀豊穣や無病息災といった人々の願いと、どこか響き合うものがあったのかもしれません。

こうして久寿餅は、寺社への信仰と人々の暮らしに寄り添いながら、その土地の文化として根付いていきました。単なるお菓子ではなく、江戸の人々の日常と祈りの風景の一部だったのです。その歴史に思いを馳せながら味わう一皿は、私たちを時空を超えた発酵の旅へと誘ってくれるはずです。

3. 450日、静寂の熟成。小麦でんぷんが生まれ変わる、奇跡の発酵製法

久寿餅の真髄は、その類まれなる発酵製法にあります。それは、450日間、実に15ヶ月もの長きにわたり、ただひたすらに時を待つという、壮大な時間の芸術です。この静寂の熟成期間こそが、ありふれた小麦でんぷんを、あの唯一無二の食感と風味を持つ発酵和菓子へと昇華させる、神秘的なプロセスなのです。この製法を知ることは、微生物が織りなす生命の神秘に触れる旅でもあります。

旅の舞台は、幾重にも重なる大きな木製の槽。特に伝統的な製法では、殺菌作用や調湿効果があると言われるヒノキの板で張られた発酵槽が用いられます。ここに上質な小麦のでんぷんを水に溶いて沈殿させ、地下水に浸すことから長い物語が始まります。添加物は一切加えず、蔵に棲みつく乳酸菌をはじめとする微生物たちの力だけで、発酵はゆっくりと進んでいきます。季節の移ろいとともに変化する外気温に身を任せる「自然発酵」は、まさに自然との共作と言えるでしょう。

450日の熟成を終えたでんぷんは、白く美しい塊へと姿を変えます。しかし、旅はまだ終わりません。ここから、あの独特の食感を生み出すための繊細な工程が続きます。まずは約5日間かけて丁寧に「水洗い」し、発酵由来の酸味や雑味を洗い流します。その後、熟練の職人が「攪拌(かくはん)」しながら、蒸し上げるための準備を整え、一気に「蒸し」の工程へ。蒸し上がった熱々の餅を、今度は「急冷」することで、きめ細やかで弾力のある、あのモチモチとした食感が生まれるのです。

この気の遠くなるような時間と手間をかけた製法は、効率を求める現代とは逆行しているように見えるかもしれません。しかし、この時間こそが、人工的には決して作り出せない、発酵だけがもたらす深い味わいと食感の源泉なのです。久寿餅の一切れには、450日という時間が凝縮されています。

4. “食べる”植物性乳酸菌。話題の「くず餅乳酸菌®」が秘める健康パワーとは

久寿餅が私たちを魅了するのは、その歴史や製法だけではありません。近年、その発酵の過程で育まれる「乳酸菌」の存在が科学的に解明され、健康を意識する人々から大きな注目を集めています。長年の食経験に裏打ちされた伝統和菓子が、実は最先端のウェルネスフードとしての側面も持っていたのです。美味しく食べて、体にも嬉しい。そんな理想的な発酵食品の可能性を探る旅に出かけましょう。

その注目の的となっているのが、老舗「船橋屋」が自社の久寿餅から分離・発見した植物性乳酸菌、「くず餅乳酸菌®」です。450日間の過酷な発酵環境を生き抜いたこの乳酸菌は、非常に生命力が強いと考えられています。和菓子から見つかった乳酸菌というだけでもユニークですが、その働きに関する研究が、私たちの健康への期待をさらに高めています。

2024年に発表された研究報告は、特に興味深いものです。健康な成人20名を対象に行われた臨床試験において、「くず餅乳酸菌®」(F1805株)を含む食品を4週間摂取したグループでは、免疫の司令塔とも呼ばれる細胞(pDC)の活性が有意に上昇するなど、免疫機能の維持・改善に役立つ可能性が示唆されました。これは、日々の食生活を通じて、体の内側からコンディションを整えたいと考える現代人にとって、非常に心強い情報と言えるでしょう。(※1)

さらに嬉しいのは、そのカロリーです。船橋屋のデータによれば、久寿餅本体(黒みつ・きな粉を除く)のエネルギーは100gあたり約79kcalと、和菓子の中では比較的ヘルシー。発酵によって生まれた滋味深さを楽しみながら、植物性乳酸菌の恩恵も期待できる。久寿餅は、伝統と科学が融合した、未来の食生活にも貢献しうる発酵スイーツなのです。
※1 出典:くず餅乳酸菌(F1805株)による免疫機能改善効果 原著論文「診療と新薬 2024; 61: 19-30」本食品で特定の疾病が治癒するものではありません。

5. なぜ黒みつときな粉?発酵由来の酸味が生み出す、絶妙な味のハーモニー

久寿餅をいただくとき、当たり前のように添えられている黒みつときな粉。この組み合わせなくして久寿餅は語れない、と言っても過言ではないでしょう。しかし、なぜこの二つが定番のパートナーとなったのでしょうか。その理由を探ることは、発酵が生み出す繊細な味わいを、先人たちがいかに深く理解し、楽しんできたかを知る、味覚の探訪旅行でもあります。

まず知っておきたいのが、久寿餅本体の味わいです。450日間の乳酸発酵を経た久寿餅には、ほのかな酸味があります。これは決して不快なものではなく、ヨーグルトやチーズにも似た、発酵食品特有の爽やかで奥深い風味です。この酸味こそが、久寿餅が他の和菓子と一線を画す、アイデンティティそのもの。この個性を最大限に活かすための最高の仕掛けが、黒みつときな粉だったのです。

沖縄産の黒糖などを原料とする黒みつは、深みのあるコクと、優しくも輪郭のはっきりとした甘みが特徴です。この甘みが、久寿餅の持つ乳酸由来の穏やかな酸味を、まろやかに包み込みます。酸味と甘みは、互いの角を取り合い、より高次元の味わいへと変化するのです。それはまるで、個性的な二人の奏者が、互いを尊重し合うことで美しい二重奏を奏でるかのようです。

そして、香ばしいきな粉が加わることで、味のハーモニーは完成します。大豆を煎って粉にしたきな粉の豊かな風味が、全体の味わいを引き締め、香りのアクセントを加えます。黒みつの甘み、久寿餅の酸味、そしてきな粉の香ばしさ。この三つが口の中で一体となったとき、私たちは初めて久寿餅の完成された美味しさに出会うことができます。この三位一体の味覚設計は、発酵を深く知る江戸の人々の知恵の結晶と言えるでしょう。

6. 発酵旅人のための久寿餅Q&A。素朴な疑問、すっきり解決します!

久寿餅というユニークな発酵和菓子を知る旅を進める中で、様々な疑問が湧いてきた方もいらっしゃるかもしれません。ここでは、皆様が抱きがちな素朴な疑問に、旅の案内人としてお答えしていきます。このQ&Aが、あなたの久寿餅への理解をさらに深め、より美味しく、賢く楽しむための羅針盤となれば幸いです。

Q1. 賞味期限が「製造日を含め2日間」と短いのはなぜ?

A1. それは、久寿餅が保存料を一切使用しない、正真正銘の「生菓子」である証です。主原料である小麦でんぷんは、時間が経つにつれて水分が抜け、硬くなる「老化」という現象が起こりやすい性質を持っています。最高の状態で味わえるのは、作りたての弾力と瑞々しさが保たれている僅かな期間だけ。この潔いまでの短さこそ、添加物に頼らない、誠実なものづくりの証左なのです。

Q2. カロリーが気になります。ダイエット中でも大丈夫?

A2. 久寿餅本体は100gあたり約79kcalと比較的低カロリーで、脂質もほとんど含みません。気になる場合は、黒みつやきな粉の量を調整するのがおすすめです。例えば、黒みつを少なめにして、きな粉の素朴な風味を主役に味わうのも一興です。自分の体調や好みに合わせてカスタマイズできるのも、久寿餅の魅力の一つと言えるでしょう。

Q3. 美味しいお店は東京の亀戸にしかないのでしょうか?

A3. 亀戸天神の門前は久寿餅の聖地とも言える場所ですが、その文化は関東一円に広がっています。例えば、神奈川県の川崎大師の門前町にも有名な老舗があり、多くの参拝客に愛されています。それぞれの土地で、少しずつ風味や食感が異なる場合もあります。発酵旅の醍醐味として、各地の久寿餅を食べ比べてみるのも楽しいかもしれません。

Q4. 通販でお取り寄せしたり、お土産にしたりする際の注意点は?

A4. 多くの老舗がオンラインストアを設けており、手軽にお取り寄せが可能です。ただし、注意すべきはやはりその短い賞味期限。お土産として誰かに渡す場合は、相手が受け取れる日を事前に確認しておく心遣いが大切です。すぐに会えない方へは、日持ちのする他の商品を選ぶなど、状況に応じた判断をおすすめします。

7. いざ、発酵和菓子を巡る旅へ。亀戸天神前で味わう、伝統の老舗

久寿餅の物語を学んだら、次はその発祥の地を実際に訪れてみませんか。発酵旅人にとって聖地ともいえる場所、それは東京都江東区の亀戸天神社の門前です。ここでは、創業から200年以上の時を刻む老舗が今なお暖簾を守り、訪れる人々を温かく迎え入れています。知識を体験へと変える、五感で味わう発酵の旅に出発しましょう。

最寄り駅の亀戸駅から歩いていくと、次第に下町の風情が色濃くなります。亀戸天神の太鼓橋が見えてくると、そのすぐそばに風格ある店構えの「船橋屋」本店が姿を現します。歴史の重みを感じさせる建物に一歩足を踏み入れると、そこは日常の喧騒から切り離された特別な空間。店内でいただく久寿餅は、格別の味わいです。丁寧に盛り付けられた一皿からは、職人の誇りとおもてなしの心が伝わってくるかのようです。

せっかく亀戸まで足を運んだのなら、久寿餅だけでなく、その周辺の文化にも触れてみるのがおすすめです。こんな半日モデルコースはいかがでしょうか。

  • スタート:JR亀戸駅
    下町の商店街を散策しながら、亀戸天神社を目指します。
  • 亀戸天神社を参拝
    学問の神様として知られる菅原道真公を祀る神社。四季折々の花々、特に藤棚や菊まつりは見事です。心静かにお参りを。
  • 船橋屋本店で一休み
    参拝後は、門前の老舗で名物の久寿餅を。店内でゆっくり味わうもよし、お土産に買い求めるもよし。発酵の恵みを堪能します。
  • 香取神社へ
    少し足を延ばして、スポーツ振興の神様として有名な香取神社へ。勝利を祈願するアスリートも多く訪れるパワースポットです。

歴史ある神社を巡り、その門前で育まれた発酵和菓子を味わう。それは、この土地の歴史と文化を丸ごと体験するような、豊かで味わい深い旅になるはずです。ぜひ、あなた自身の足で、この発酵文化の物語を確かめてみてください。

8. おわりに:伝統から革新へ。未来に受け継ぐ久寿餅という発酵文化

さて、久寿餅を巡る発酵の旅も、終着点に近づいてきました。私たちは、この身近な和菓子が、単なる「くずもち」ではなく、関東独自の「久寿餅」という名の、日本で唯一の発酵和菓子であることを知りました。そして、その背景には江戸時代から続く200年以上の歴史と、450日間という壮大な時間をかける、他に類を見ない発酵製法があることを学びました。

この旅で明らかになったのは、久寿餅が持つ二つの顔です。一つは、伝統を愚直に守り続ける「守り手」としての顔。職人の勘と経験、そして蔵に棲みつく微生物との対話によって受け継がれてきた製法は、日本の食文化が誇るべき貴重な遺産です。門前町で人々の心を癒してきたその姿は、これからも変わることはないでしょう。

そしてもう一つは、科学の光によって新たな価値が照らし出された「革新者」としての顔です。「くず餅乳酸菌®」の発見は、久寿餅が単に美味しいだけでなく、私たちの健康にも貢献しうる可能性を秘めた機能性食品であることを示しました。伝統的な食経験が、最新の科学によってその価値を再証明された、素晴らしい一例と言えます。

伝統と革新。この二つが共存するからこそ、久寿餅の物語はこれほどまでに魅力的なのかもしれません。過去から未来へと続く、この美味しくも奥深い発酵文化を、私たち自身が味わい、語り継いでいくこと。それこそが、この素晴らしい文化を未来へ繋ぐ、最も確かな方法ではないでしょうか。発酵の旅は、まだ始まったばかりです。次の旅路で、またお会いしましょう。

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