スーパーマーケットに並ぶ野菜は、日本全国どこでもほとんど同じ品種です。しかし、ほんの数十年前まで、各地の畑には「その土地にしかない野菜」が数え切れないほど存在していました。こうした「在来種」と、それを育んできた「里山農業」の世界を旅してみましょう。
在来種とは何か
在来種(在来品種)とは、ある地域で長い年月をかけて自然に適応し、農家の手で種を採り継がれてきた作物の品種のことです。F1品種(一代交配種)と異なり、種を採って翌年また同じものを育てることができます。
日本の在来種は、その地域の気候・土壌・食文化と深く結びついています。たとえば京都の「聖護院大根」、金沢の「加賀れんこん」、山形の「だだちゃ豆」——これらは単なる野菜の品種ではなく、その土地の食文化そのものです。
里山という知恵のシステム
里山とは、人間の手が適度に入ることで維持される二次的な自然環境のことです。水田、畑、雑木林、ため池、草地が一体となった里山の景観は、生物多様性の宝庫であると同時に、持続可能な農業の実践の場でもありました。
里山農業の特徴は「循環」にあります。雑木林の落ち葉は堆肥になり、田んぼの水はため池を経て畑に供給され、農業残渣は家畜の飼料となり、家畜の糞は再び畑の肥料になる。化学肥料も農薬も使わない、完全な循環型の農業システムが何百年も維持されてきたのです。
興味深いことに、この里山の循環システムは日本の発酵文化とも深く関わっています。味噌の原料となる大豆は里山の畑で育てられ、醤油の原料となる小麦も同様です。発酵の旅人が紹介する発酵食品の多くは、里山農業の産物なのです。
各地の在来種と食文化
京野菜 ── 千年の都が育てた野菜たち
京都には「京の伝統野菜」として約40品目が認定されています。聖護院かぶ、万願寺とうがらし、賀茂なす、九条ねぎ——いずれも京料理に欠かせない食材であり、千年の都の食文化が育んだ品種です。京漬物という発酵文化とも密接に結びついています。
加賀野菜 ── 城下町の食の遺産
金沢市が認定する「加賀野菜」は15品目。加賀れんこん、金時草、源助だいこん、打木赤皮甘栗かぼちゃなど、藩政時代から受け継がれてきた品種です。加賀料理の繊細な味わいは、これらの在来種なしには成立しません。
信州の伝統野菜
長野県は「信州伝統野菜」として約80品目を認定しています。これは都道府県単位では最多級の数です。標高差が大きく多様な気候を持つ信州では、谷ごと、集落ごとに異なる品種が育てられてきました。野沢菜もまた、信州の在来種の一つです。
奥羽・東北の在来種
長い冬と短い生育期間という厳しい条件下で、東北の農家は驚くべき多様性の在来種を育ててきました。山形のだだちゃ豆、秋田のとんぶり、岩手の暮坪かぶなど、寒冷地ならではの力強い味わいを持つ品種が今も残っています。
失われゆく在来種
日本の在来種は、戦後の農業近代化により急速に姿を消しました。高収量・均一品質のF1品種への転換が進み、在来種は「収量が低い」「形が不揃い」という理由で市場から排除されていきました。
農林水産省の推計では、明治以降に日本で栽培されていた在来品種の多くがすでに失われたとされています。種子を守り続けてきた農家の高齢化が進み、今も毎年のように在来種が消滅しています。
一粒の種が消えることは、数百年の歴史を持つ遺伝資源と、その種に紐づく食文化・農業技術・地域の記憶が同時に失われることを意味します。
在来種を守る取り組み
こうした危機に対して、全国各地で在来種の保全・復活に取り組む動きが広がっています。
- シードバンク(種子銀行) ── 各地の遺伝資源センターが在来種の種子を収集・保存
- 在来種レストラン ── 在来種を使った料理を提供し、消費者に魅力を伝える飲食店
- 種採り農家ネットワーク ── 自家採種を続ける農家同士の情報交換と支援
- 学校教育との連携 ── 地元の在来種を教材とした食育・農業体験プログラム
「旅人たちの地図」と農の世界
在来種と里山農業は、「旅人たちの地図」が将来的に取り組みたい重要なテーマの一つです。発酵食品の原料となる大豆・米・麦の在来種、漬物文化を支える地域固有の野菜——発酵の旅人の旅は、必然的に農の世界へとつながっていきます。
UmiNe合同会社が掲げる「まちづくり・地域振興」の視点からも、在来種の保全と里山農業の再評価は、地域の持続可能性に直結する課題です。